「人の願望と神さま」  07.02.25
                 コリントU 6:14〜18

 聖書には、私たちの想像を超えた、神さまの働きかけの数々が
書かれています。神さまが、私たちの間に住み、巡り歩くと
おっしゃいます(16節)。さらに驚くべきことに、息子、娘と呼ぶと
おっしゃいます(18節)。誰が神さまと自分との、このような深い結び
つきを考えていたでしょうか。それは誰も想像できなかったことです。

 今年も受難節を迎え、私たちは、神の御子が十字架へ歩んで
いかれたことを思いながら毎日を過ごしています。神の御子が、
私たち一人ひとりの罪をすべて担い、罪を取り除く犠牲の供え物と
して死なれる。そのことによって、私たちの罪が取り除かれて、神の
息子、娘としていただける。このような、罪ある私たちの救いの道筋を、
誰も想像できませんでした。神さまの愛は、私たちの思いをはるかに
超え、真に大きな愛です。

 私たちは、神さまを小さく縮めてしまうことがあります。神さまを
自分の想像、願望にあわせようとします。自分のイメージの中に、
人の知恵では計り知れないほどの大きな神さまを、閉じ込めようと
する罪の傾向があります。そんな私たちに、神さまは「刻んだ像を
つくってはならない」と語りかけてくださいます。「あなたが思うより、
ずっと広く、長く、高く、深い愛をあなたに向けているのだから、
小さくしてしまわないで…。」そんな主の言葉が響きます。

 人間の刻んだ偶像は、人よりも小さな存在でしかありません。
 罪が、それを求めさせます。神さまよりも自分を優先させたい
高慢な罪の心が、刻んだ像を作ります。神さまの言葉よりも、
自分の言葉を重んじたい罪の心は、自分に話しかけない刻んだ
像を作ります。

 生ける真の神さまは、私たちに語りかけます。
 その神さまに聞こうとする所が、人の本来あるべき位置です。
 自分の願望を一旦脇に置いて、神さまに聴く時に、大きな
神さまのご愛に気づかされます。
 自分の心配や不安よりも大きい、神さまのご愛に出会います。
 そして、恵みに心震わせながら、歩みを踏み出すのです。